''魚大本店'' - 東急東横線の白楽駅近く、六角橋商店街の魚屋が ”世界を変える”...って

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 みなさん、こんにちは『魚大本店』です。

こちらは六角橋商店街の魚屋

世界を変える魚屋

魚大本店と申します。

六角橋商店街とは
神奈川県横浜市内にあります。

電車でお越しの場合なら
東急東横線白楽(はくらく)駅で下車します。

改札を出たところから軒を連ねる商店の数々
そのなかにある
六角橋商店街のなかでも
ひときわ異彩を放つ
仲見世通りにある鮮魚店です。

”世界を変える”とは、どういったことでしょうか。

先ず、ここでいう世界とは私たちが認識していること全てを指します。

例えば、魚が苦手なひとが魚を見たときの反応には

「気持ち悪いな」とか「生臭い」からはじまり、
「上手に料理できない」や「美味しくなかった」「骨取りが面倒」
などなど。
それはそれは様々なたくさんの反応があります。

残念ですが、それはそれでみなさんの意見ですので仕方がありません。
ですが、黙って指をくわえて見ていることもできません。
だって魚屋ですから(笑)

こういった魚が苦手な方々をはじめとする皆さんと一緒に
魚に対しての理解を深めていきたいと考えました。

部分的に魚のことを理解してしまっている
(例えばマグロは好きだけどサバは嫌いといった)方々に対して、
様々な角度から魚への理解を深めて頂きたいとも思っています。

多くの皆さんが大好きなマグロですが、実はサバの仲間だったりします。
サバ科マグロ属
これが生物学上の分類です。

新しい視点からの理解がすすむと
ものの見方が変わります。
認識が変わります。
『なるほどそうだったのか!』と

「目から鱗(ウロコ)が落ちる」

そんな体験をしていただけると、より一層の理解が深まり
愛着が次第に増してくるのではないでしょうか。

理解が深まるに従い、良い関係になっていく
人間関係に置き換えて考えていただくと解り易いかもしれません。

多様な文化をもつ世界中の人々に
美味しく健康によいと認められて久しい
ヘルシーフード和食。
間違いなく、日本が世界に誇る文化のひとつです。

とりわけそのなかに於いて魚に焦点をあて
私たちの先祖はどのように魚と向き合い魚食文化を築き上げ
そして磨き上げ、どうやって守り発展させてきたのかを知ることは
私たち自身を知ることにもつながると思います。
そうすることで、私たち一人一人の魚食文化に対する
”世界を変える”
ことができると思っています。
このことを魚大本店の使命(ミッション)のひとつとします。

日本人の魚食離れ

魚を食べること、調理や料理する事に対し
苦手になった原因は、おおよそ過去の体験に基づいている
と言ってよいとおもいます。

鎖国していた江戸の時代から、鎖国を解いての開国。
とても遠い昔々の話のようですが、明治元年が1868年
150年程前の頃です。
皆さんのお爺さんお婆さん、そのまたお爺さんお婆さんの頃
(こう考えると少し身近に感じられるのではないでしょうか)
日本人の食の中でも、動物性たんぱく質の主な物は
魚が担っていました。

ご承知のように、魚の鮮度はすぐに落ちてしまいます。
私たちの先祖は様々な工夫を凝らして保存し、美味しく食べるための
努力を重ねてきました。

文明開化と終戦

江戸の末期の頃から明治にかけて、たくさんの西洋人が日本を訪れています。

そういった人々は、自分たちの価値観とはまるで異なる
日本人の生活に触れながら、戸惑いつつも
東洋の未知の国、伝説の黄金の国ジパングを
大変に興味深く観察し、人々の生活する様子を
驚きと感嘆をもって記録しています。

高い知識を蓄え、知恵に富み、思慮深く
自然に対して畏敬の念を抱き、共生し
何事も粗末に扱わないといった
当時の名も無き、一般の人々を
彼らは、異口同音に賞賛して書き記しています。

そうして日本のことが好きになり
日本人になってしまう人も現れます。
なかでも代表的なのが、みなさんご存知の
ラフカディオ・ハーン、後の小泉八雲です。

一方で、明治の文明開化が進むことにより
日本人が口にする、動物性たんぱく質の主役は次第に
魚から牛肉や豚肉などの獣肉にとって替わられるようになります。

昭和20年の終戦後には、西洋の特にアメリカ型の生活様式が
広く持ち込まれて、この流れはさらに加速していくことになります。

幕末の頃に日本を訪れた西洋人たちが、時間を超えて
現在に訪れたとしたら、どのような気持ちを抱いて
今の日本をどう評価するのでしょうか。

食生活を始めとした文化や、生活様式の変化に対して
それ以上に、日本人の変化した姿に対して
彼等が現代日本を、どう評するかは
大変に興味深いことです。

異彩を放つ仲見世通りとは

テレビや雑誌などで何度もとりあげられていますが、もう一度おさらいしておきましょう。
終戦後のヤミ市に端を発しています。
その後、経済の復興に伴い増改築を繰り返しながら現在の姿に至っています。
今の姿になるまでに何度かの火災を経験しています。

その中には尊い命が失われたこともありました。
火災の被害に遭われてお亡くなりになられた方には、この場をお借りして哀悼の意を捧げたいとおもいます。
どうか安らかにおやすみください。
六角橋商店街にお越しの皆様に於かれましては、このような事実があったという事
そして今があるという事実を踏まえておいていただきたいと、お願い申しあげておきたいと思います。

さて、実際に仲見世通りを歩いていただくとお判りいただけるのですが、屋根のある商店街です。アーケード型商店街という分類になると思います。
しかし一部屋根のない場所や有っても仕様が違う場所があります。

賢明な皆さまはお気付きでしょうが過去の火災に因る焼失とその後の復興の証です。
戦後から続く商店街では過去何度もの危機を力をあわせて乗り越えてきました。
その間に建築物に関する法律が改正を重ね、それを反映してきたものが六角橋商店街ともいえます。

お越し頂いた皆様には、一部屋根の無い場所におきまして
陽射しの強い日や雨の日にはご不便をお掛けしますが、改正後の法律に拠りアーケードを作ることができなかったという事情をお汲み取りいただければ幸いです。

格好の被写体としての仲見世

時代から取り残されたかのような、あるいはタイムスリップしてしまったかのような佇まいを残す街並みは映画のオープンセットのようだと形容されることもあります。

過去には何度も映画やドラマのロケで使用されてきました。
(ホットマン・TBS系列2003年、おとうさんのバックドロップ・2004年公開など)

そのような商店街において、実際に商店が営まれ商店街を普段から利用している人々が行き交う様子に触れ、その息づかいを感じることは非常に興味深い体験であるとも思います。

また、最近では地域紹介バラエティ番組(出没!アド街ック天国・テレビ東京系列2012/6/9放送)の影響からか、バラエティ番組のロケ対象地としても注目度が高まっているようです。

注目を集めることで認知度が高まり、遠方からお越しいただく方々が増えることは商店街で商いをさせていただく身としては非常に有り難いことと、心より皆様に感謝致しております。
仲見世通りが賑わうことは、本当に喜ばしい限りです。

わざわざ遠方よりお越し頂きまして、本当にありがとうございます。

近頃カメラを携えてお越しくださる皆様が多くいらっしゃいます。
古き良き昭和を象徴するかのような古い建物がひしめく仲見世通りは、被写体として格好の素材・対象であることでしょう。

すでに何度もお越し頂いている皆様に於かれましても
前述のような事情を踏まえて、
『アーケードそのものに焦点を当てる』
というのも新しい視点なのではないでしょうか。

写真や動画など、撮影に際してお願い

そういった皆様に苦言といいますか、ひとつお願いがあります。
店内にカメラのファインダーを向ける際には
どうか一言お声掛け下さいますよう、お願い申し上げておきたいと思います。

皆様はそれぞれ目的をお持ちになり、対象をカメラに収めようとお考えのことと思います。
ですが私たちは、皆様お一人お一人を存じ上げません。
「テレビで知って興味を持った」「ブログやSNSなどに写真を掲載したい」
など、どのような形でも結構です。

顔を撮影される事に対して抵抗を感じる人がいるという事実があります。
何の断りもなくカメラを向けられる事に、ある種の恐怖を感じる方も少なくないのです。

オープンセットのような街並みで息づく活きた人々の生活の様子をカメラに収めたいというお気持ちも理解できます。
ですが、そこにあるのは普段通りに生活を営む一般の人々であります。
そのことをご理解頂いた上で是非、撮影に臨んでいただきたいと思います。

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